小学三年の春、私の家族は父の転勤のため兵庫県西宮から広島に転居した。 「なぜ原爆の落ちた所に引越すの、怖くないの」と友達に聞かれたものだ。原爆被災から十三年後のことである。
爆心地から二kmほど北東に位置する私たちのアパート前には乳牛の牧場があり、裏は蓮根畑。町中とは思えないほど豊かな自然と、言葉遣いは荒いが親切な隣人に囲まれていた。
そんな広島の、原爆ドームが見える太田川での夏、私たち子供は元気に泳いでいた。川の中では数多くの魚にも出会えた。しかし、日本の高度経済成長に伴い、三年もたつと、蓮根畑は埋められて宅地に変わり、泳いでいた川はいきなり遊泳禁止になった。川の浚渫工事のためだった。
原爆から十三年目の広島に、どの程度の放射線が残留していたのかは知らない。私の担任教師を含め、原爆による「ケロイド」を持つ大人は多かったし、十年過ぎて原爆症を発症し死に至る人たちもいた。だが、当時の市民が元気で明るかったことは、私の記憶に鮮明である。
今回の大震災、大津波、そして原発事故。
特に原発事故による不安が、全国を覆っているのは確かである。事故からもう五ヵ月、不安は増すばかりだ。これは一体いつまで続くのか。
広島市の中心部に投下された原爆と、今回の福島第一原発事故とを単純に較べる訳にはいかないが、せめて日本全体が、被曝を気にせずに暮らせる日がいつになるのか、誰か教えてほしい。
その日が分かれば、あの頃の広島市民のように、もっと元気と希望を持てるはずだ。 |