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●月刊誌『健康と良いともだち』からの転載です。

  82〜80 slash 79〜70 slash 69〜60 slash 59〜50 slash 49〜40 slash 39〜30  

  title49
2009 / 10 / 26
 
 
   近頃はすっかり回転寿司専門になってしまったが、以前から夫婦で安い寿司店に通っていた。
 注文はいつも「並」と「上」。並は妻、上は私である。べつに差別していたわけではない。彼女の好みが「並寿司」なのだ。
 「寿司大好き人間」を自称する妻だが、アジやコハダなどのヒカリモノは一切受け付けない。ウニやスジコなど論外で、トロもヒラメもアナゴも駄目、かろうじてマグロの赤身が食べられる程度だ。
 では、いったい寿司種の何が好きなのかというと、これがイカやタコと貝類だけなのである。
 ほんとうの寿司好きや寿司職人が聞いたら「口あんぐり」であろうが、この私にとっては好都合なのだ。妻のコハダと私のイカは当然交換する。「並」にウニでも入っていようものならすぐ私の皿に載せ、代わりにタコを持っていく。
 はじめのころは、私に遠慮しているのかとも勘ぐったがどうもそうではない。見た目と、舌の感触だけで好悪を決定しているようなのだ。
 誰にでも好みはあるのだから大きなお世話であろうが、なんでもおいしくいただく私から見ると、なんと勿体なく、寂しいことか。生の魚の旨さを語り合うことができないのだから。
 好物だった赤貝とホタテ貝柱に至っては食べ過ぎて飽きてしまったとか。ここまでくると単なるわがままだ。
 十年ほど前のアムステルダムでの食事を思い出す。私がちびちびとワインを飲んでいるうちに、鍋いっぱいのムール貝を妻はほとんどひとりで平らげてしまったのだ。
 それが懐かしく、昨秋訪れた際にもレイツェ広場周辺の食堂に寄ってみたのだが、残念ながらムール貝の料理は見かけなかった。
 今日も妻は回転寿司店の席に着くなり、ロコ貝とツブ貝を二皿ずつ計八貫、お決まりの注文だ。私もロコ貝をひとつ分けてもらおう。
 ま、なにを食べようが最後はカンピョウ巻で〆るのが私たちの流儀である。
 
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  ▲ムール貝のワイン蒸し。鍋は直径25cmほど、なぜかフライドポテトがついてきた。ビール、白ワイン、サラダ、パンやスープ、コーヒーで約4500円は満足。当時の店「De Geus」のレシートがアルバムの中から出てきた。妻も当然10年前の顔だ  
 
  oma  
  今朝、出社後しばらくして左足の甲に違和感を覚えた。足袋を脱ぐと中から大きなカシューナッツがぽろり。よく見ると洗濯石鹸のかけらだった。洗って干した時も履いた瞬間も歩いていても、その存在に気付かなかったとは。とほほ…  
han
  title48
2009 / 8 / 26
 
 
   仕事柄、子どもの「命名書」を依頼されることがある。
 本来、命名書は父親本人が書くもの、と私は考えているが、なによりめでたいことでもあるので、私の字の癖をご了解いただいた上で、書かせてもらっている。
 ところが最近、困ったことに普通には読めない名前が増えてきた。たとえば「春衣妃」ちゃんや「瑠李音」くんなどの無国籍・アニメ主人公風漢字名である。
 戸籍の登録には、ふりがなが不要で読み方は自由なのだが、「はいび」「るいと」とは誰も呼んでくれそうにないし、覚えてもらうにも難しそうだ。
 親はもちろん良かれと思って付けるわが子の名前であろうが、他人からどう見られるかを考えねば、将来その子自身がかわいそうなことになる。
 かくいう私も三十数年前に二人の子の親となった時は、熟慮して名付けたつもりである。「卓馬」と「大吾」、当時としては奇抜な名であったかもしれない。
 ただ、私は命名の前にルールを作った。まず呼びやすく、聞き取りやすく、読みやすく、書きやすく、覚えやすいこと、そして男女の識別が容易なことだ。
 念のため先日、息子たちに確かめたところ、自分の名に不服はないとのこと、ほっとした。 
 いずれにしても、子の命名は親として最初の仕事であり、大きな責任を伴うものである。オリジナリティあふれる名を付けたいのは人情であるが、目立てばよいというものではない。子どもが一生つきあう「名前」は慎重に付けるべきだろう。
 ともあれ、時代によって名前の傾向が移り変わるのはあたりまえ、今の若い人に「夫・男・雄」で終わる男子、「子」で終わる女子の名前が少ないのは日頃から感じていた。
 しかし、この夏の甲子園出場全選手の名簿を見て驚いた。私の時代では多数派であったはずの…夫…男…雄は皆無。49校×18人=882人中、ゼロである。
 まいったなあ、マイナーなんてものではない。私の名前など、とっくに化石となっていたのだ。
 
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  ▲まったく自然の力はすごい。この七月、半月ぶりで那須の古家を訪れると、縁側が竹林になっていた。陽も射さぬ地面から縁板を突き抜け、数本の布袋竹が天井まで伸びていたのである。小さな子どもでもいれば短冊を飾って、そのまま七夕祭りなのだが…  
 
  oma  
  本屋には名付けに厳しい指南書も並んでいる。その一冊に曰く、『良い名前をつけるには次の条件が必須です。◎陰陽の配列を整える◎画数をすべて吉数にする◎五気(生年月日によって変わる)の組み合わせを考える…』これはこれで困ったものだ。  
han
  title47
2009 / 6 / 26
 
 
   夏至も間近のある日、庭の真ん中に立つ老木が、私たちに素敵なプレゼントをくれた。
 那須の里、海抜500mの春は一気にやって来る。
 三月下旬にやっと福寿草と蕗の薹が顔を見せたかと思うと、四月半ばには梅と桜がほとんど同時に花開くのである。
 那須に通い始めて約二十年、はじめこそ梅干を漬ける程度の実も付けてはいたのだが、この十年ほどは私の剪定の拙さのせいか花さえほとんど見せなかった梅の木が、今年は見事にたくさんの白い花を咲かせたのである。
 その花を愛でながら、もしかしたらの気持ちが無かったわけではないが、十年以上も実を持たなかった古木にあまり期待するのは酷な気もしていたのだ。
 しかしひと月前、ビー玉大の実が地面にいくつか転がっているのを見て期待は膨らむ。上にはたくさんの実が成っていた。
 先日、陽が陰るのを待ち、脚立に乗って実をもぎ始めた。はじめは丁寧に一個ずつもいでいたが面倒になり、数個の実を片手で掴んで小籠に入れていく。
 高さ3mあまり、太い幹は苔生しているのだが、密集した小枝は尖っていて、身体を捻じ曲げ手を伸しても、なかなか届かない実もある。
 それでも採れるわ採れるわ、あっというまに籠が重くなってくる。うれしいなあ、まだまだあるぞ、隣の枝にも上の枝にもいっぱいあるぞ。濡れ手で粟、まるで夢みたいだ。
 ん、夢? そうだ夢の中で、なぜかつぎつぎと十円玉を拾い続けるパターン(若い頃ほんとによく見た夢なのだ)にそっくりである。この貧乏ものめ。だがうれしいものはうれしい。というわけで大量の実を収穫した。
 あとは縁側に腰掛けて、布巾で一粒ずつ丁寧に拭いていく。収穫は三十分、それを拭くのに一時間もかかってしまった。でもこれもじつに愛おしく楽しい時間である。ケキョホケキョやテッペンカケタカの鳴き声がのんびり聞こえる。至福とはこういうことであろうか。
 さてこの収穫した実をどうしてくれよう。梅干か? いやいや当然、梅酒であろう。
 三ヵ月先には飲み頃になる。まったく困ったものだ。
 
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  ▲金ザルに入れた至福の青梅。200個ほど採れた。傷のあるものなどを除いたあと、氷砂糖1kgと2.7リットル入りのペットボトル焼酎を全部使ってちょうど広口瓶にぴったり、いっぱい。梅酒予備軍の出来上がりだ  
 
  oma  
  右下肢静脈瘤の術後経過がおもわしくない。前回の左脚と同じ医師による執刀だったのだが、今回は健康保険の利く安価な手術にしたのだ。そのせいかどうかはわからないが、二ヵ月経っても腰から下が辛い。やはり肝心なところで金をけちってはならないのか。  
han
  title46
2009 / 4 / 27
 
 
 

 桜の時季に強風がなかったおかげだろう、今年はたくさんの花見が楽しめた。
 三月下旬開花したての靖国神社境内に始まり、小石川、四谷、谷中、駒込などを毎日のように散策。五分咲きの頃、倉敷に所用があり岡山後楽園の桜にも会えたのはうれしかった。帰京してからも雑司ケ谷、青山、駒場と巡り、咲き乱れる東京の桜を堪能したものだ。さらに四月下旬まさに満開のなか、雪のように舞い散る桜花を、那須の里で惜しむことができたのは幸せのかぎりだ。

 どうして桜はこんなにいいのだろう、こんなにうれしい気分にしてくれるのだろう。どうして飽きることがないのだろう。
 朝ぼらけの桜もいいし、朝日に輝くさまもいい。昼間はもちろん夕暮れも。そして夜桜は格別だ。晴天も曇天も雨に煙る桜もいいものだ。山の桜も里の桜も都会の桜もそれぞれに楽しめる。木の真下から見上げるのも一興、遠くに霞む桜もいい。対岸から眺める桜並木、ビルの上から見下ろす公園の桜林の美しさは圧巻だ。腰を下ろして眺めるのも、横になってうつらうつら見るのもよし、そぞろ歩きの桜もいい。電車の中から見える一瞬の花も心に潤いをあたえてくれる。ひとりで観るのもいいし連れ立った花見もいいものだ。桜を愛でながらの弁当はうまい、少しの酒があればなおさらだろう。ピンクのソメイヨシノに限らず白いヤマザクラも美しい。たった一本でも十分だし並木の桜も見応えがある。大木の桜は言うまでもないが幼木にも可憐な花がつく。ヒヨドリが花をついばむ様子など涙が出るほどの情景である。蕾の時に始まり一分三分七分満開、はらはらと散るのもよし花吹雪にも心が騒ぐ。道や池などに散った花びらにも風情がある。次の日には縮み汚れてしまうのはすこし辛いが。
 なににせよ理屈ぬきで楽しめるのが桜の花だが、葉桜になった途端にそれが桜の木だということさえ忘れてしまう私は、薄情者であろうか。
  
 眺めを何にたとふべき

 
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  ▲塩原の田舎にひっそりと咲くシダレザクラ。毎年この木を観に立ち寄るのだが、老木のせいか年々元気がなくなるようだ。下のユキヤナギはどんどん大きくなってくる  
 
  oma  
  また病気自慢。家内の副鼻腔炎・ポリープ除去手術は無事成功。再発の懸念はあるものの、嗅覚が戻ったため食欲旺盛で、こんどは体型が心配になってきた。私自身も右下肢静脈瘤の手術を受け、リハビリの最中。抜き取った血管の写真を見せまわり、嫌がられている。  
han
  title45
2009 / 2 / 23
 
 
 

 旅に出る二週間前になって、腰が痛み始めた。歩くのが、辛い。
 もともと『下肢静脈瘤』と診断されていた右脚の痺れが腰に移動してきた感じである。
 出発前にどうにかしてもらおうと、近所の整形クリニックを訪ねた。ここは患者数の割りに、曜日ごと交替の医師が多く、予約無しでもあまり待たされずに診てもらえるのだ。
 初診担当のA医師はレントゲン写真を見るなり『坐骨神経痛』と診断、理学療法士に『牽引療法』を指示した。患部も見ずに自信たっぷりである。
 翌日は、別の医師Kが「もうお年なのだから仕方ないですな。痛み止めの薬を差し上げましょう」と大量の鎮痛薬を処方してくれた。たしかにこれを飲めば一時的に痛みは治まるのだが、いくらなんでもずっと飲み続けるわけにはいかない。
 二日後に行くと、また別のE医師(心臓血管外科が専門とか)が私の症状を聞いて『胸部レントゲン』と『心電図』を指示した。え、なぜ、の質問には、心臓の負担が腰に来ることがあるとの説明である。そういうものかと検査を受けたのだが、結局異常無しであった。
 また、K医師は『尿・血液検査』をしてくれたが、これまた異常は見つからなかった。
 こうなったら私も意地である。さらに別のY医師に診てもらう。彼によると、これは『脊椎滑り症』であり、『コルセット療法』で治すしかないとのこと。
 もう勘弁してくれよ。
 結果、私の腰痛は癒えることなく、旅行中もしんどい思いをしたのであった。

 この診療所は特殊かもしれないが、診てもらった四人の医師が誰一人として、(おそらく診療の基本であろう)患部の『触診』はおろか『視診』さえ、まともに行わなかったのには驚いた。
 ほとんど私の目を見ることもなく机上のモニターとにらめっこ、『下肢静脈瘤』のことを話しても無視されっぱなしであった。
 べつに医師や診療所を責めるつもりは無い。患者自身がある程度の知識を持ち、病院と医師を選ばねばならないことを、痛感したのである。

 
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  ▲何に見えるだろうか。作為の無い「アート」である。工事のためカッターで切られ、赤や青のペンキで印をつけられた道路面なのだ。当然、掘り返され、次の日には消えていた。  
 
  oma  
  病気自慢ばかりで恐縮だが、いよいよ妻の手術日が迫ってきた。夫婦二人で説明を受けて納得した心算だし、医師は、ごく一般的な「副鼻腔炎の内視鏡手術」だと言うが、「アスピリン喘息」の持病があるので心配だ。  
han
  title44
2008 / 12 / 28
 
 
 

 運転免許を更新した。
 急速に低下する視力の検査にもどうやら合格し、規定の講習を受けて真新しい免許証を渡される。
 が、手にした免許証の「本籍欄」がどういうわけか空白だ。きけば「プライバシー保護」のためだという。氏名や生年月日・顔写真・現住所などは印刷されているのに、本籍だけがなぜ無いのだろうか。
 警視庁HPによると、平成十九年から免許証が「ICカード化」され、本籍はこの中に隠されているらしい。そしてこれを見るためには当日設定した八桁の暗証番号が必要なのだ。
 ん? どうも、役所のやることは分からない。

 別の日、パスポートの有効期限が近づいたので、これも更新に出向いた。
 申請の順番待ちをしていると、目の前に「ICチップ・パスポート」のポスターが貼ってある。ここでも「IC」である。こちらは平成十八年からの採用らしい。
 このICパスポートは偽造変造が出来ないように、顔写真・氏名・生年月日などの情報を冊子の中央頁に記録しているのだそうだ。
 まあ、たしかに偽造できそうにはないが、自分で内容の確認も出来ない。なにか嫌な感じだ。

 などと、昨今の「何でもIC化」傾向にけちをつけていたら昨日、「IC」のお陰ですばらしい恩恵を受けてしまった。
 残りが二ヶ月半もある定期券を紛失し、諦めつつ足を運んだメトロの駅事務室で、紛失した定期券をなんと「再発行」してもらったのだ。「IC」はすごい。手数料を千円支払ったが、無くしたお金が戻ってきたようなものだ。ものすごく得をした気分である。
 私は以前から継続定期券を、待ち時間無しの自動販売機で購入しているのだが、いまだに有人の定期券売場はいつも長蛇の列だ。
 自動販売機での定期券継続発行や、紛失定期券の再発行は意外に知られていないようだ。利用者の利便のため、東京メトロはもっと宣伝しなさい。
 今回の一件で、すっかり「ICカードファン」と化してしまった私である。

 
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  ▲パスポート用の写真を撮ろうと、旅券課の隣の写真屋を覗くと二千円近くかかるという。そ、そんな。ということで有楽町駅の自動撮影機へ。ここでは七百円也。贅沢な昼飯代が浮いた。  
 
  oma  
  今回と十年前のパスポート、顔写真を比べてみると、やはり年月を感じる。髪の密度と色、顔の張りも目の力もひと昔前のそれは確かに若い。はたして次(十年後)の私にパスポートは発行されるのだろうか。そして顔写真は如何に。  
han
  title43
2008 / 10 / 27
 
 
   オランダとベルギー各地を十日間ほど、レンタカーで回った。
 空港近くのアムステルダムに初日と最終日の宿だけを予約し、あとは当日の気分で行先を決める気儘な旅である。
 時は秋、たまには美術鑑賞でもするか。
 まずアムステルダム名物「運河クルーズ」に乗ってみる。川から仰ぎ見る建造物はどれも豪壮で威厳があり、オランダのかつての栄華が偲ばれる。
 さて車を借りてフェルメールの故郷デルフトの町に泊まる。広場にはプラタナスの黄葉が舞い散り、まさに秋一色である。
 翌朝はロッテルダムを通過、国境を越えてベルギーのブルージュへ。たまたま泊まった安宿の名は「アンソール」であった。
 画家ジェームス・アンソールは、一般的人気こそないが、その独特な雰囲気は私の好みである。
 そこで向ったのが港町オステンドに現存する彼の旧宅、数枚の原画も展示してあるという。ところが午後早めに着いたというのに既に閉館しており翌日も休館になっている。
 これがけちのつき始めだったのだろうか、フランス国境に近い田舎町の住宅街に埋もれた「ポール・デルヴォー」ミュージアムを訪ねてみれば秋季休館日。鍵の掛かった門から淋しく庭園を覗いて帰途に着く。
 さらに、オランダに戻りザーンセスカンスの風車群を眺めて辿り着いた町はホールン。中世に怪奇的風刺画を残した「ボッシュ」の館があるとガイドブックには載っている。町の人たちに聞いて回ってやっと探し当てたボッシュ館、一般公開はしていなかった。ああ情けない。
 しかしあとで考えてみると、どうも「ボッシュ」違いの気もする。ボッシュの名はオランダではポピュラーであるし、十五世紀の建物にしては妙に新しかったような気がしないでもない。
 結局今回、好きな三人の幻想画家に振られたわけである。
 しかし、アムステルダムの国立ゴッホ美術館では、彼の短かい生涯における輝く才能が年代を追って紹介され、大学の町ライデンの「シーボルト」ハウスには、当時の日本からの夥しい収集品が美しく整理されて中庭の植栽は情緒に溢れていた。
 このふたつの「戦利品」で私の腹は、いっぱいだ。
 
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  ▲案内してくれたので、てっきり画家のボッシュだと思っていたが……。でないとすると、どのボッシュさんの家だったのだろうか。ま、いいか。みんな笑っているし。  
 
  oma  
  旅のあいだ、私は右脚と腰の痛み、妻は胃痛と肩こりと喘息に悩まされた。妻は私の拙い運転のせい、つまりストレスが原因だと主張する。私は海外の見知らぬ町での運転でストレスを解消している。ごめんなさい、と言うしかない。  
han
  title42
2008 / 8 / 21
 
 
   蜂の襲撃を受けて、後頭部をぼこぼこにされてしまった。敵は最も獰猛で猛毒を持つといわれるスズメバチである。
 ひと月ぶりの那須、気分良く山小屋の戸を開けようとした途端に襲われたのだ。
 すぐに、近所(といっても車で十五分)の医院に飛び込んだ。昼休みだったが、医者が自宅から駆けつけ診てくれた。
 まず針が残っていないか頭皮を調べる。そして、刺されて何分経ったかとの質問。約二十分、と答えると急に医者の緊張感が薄れた。
 蜂アレルギー体質の人は刺されて十五分が問題だという。アナフィラキシーショックを起こすと、血圧低下、呼吸困難で死に至ることもあるそうだ。
 注射(アレルギー、炎症止め)を打ってもらい、いくらか落ち着くが、まだ頭が痛く痺れているので、しばらく医院のソファで休ませてもらう。
 横になり、さきほどの惨劇を思い出す。猛然と腹が立ってきた。
 威嚇もせずに、いきなり集団で私を刺し殺そうとしたのだ。これは復讐せねばならぬ。
 ここで医者に言われた。「危険です、自分で駆除しようとは思わないでください。市役所に頼めば無料で専門家がやってくれますから」。
 しかしこちらは、文字通り頭に血が上っている。絶対に自分の手で仇を討つのだ。
 帰途、ドラッグストアで「アブハチ撃退ダブルジェット」千三百円也を購入する。
 小屋に戻り今度は慎重に門を開けると、目の前に敵の巣が……。大胆にも、玄関の軒下に直径二十cmほどの球のような巣がぶら下がり、周囲には大勢の兵隊が群がっている。
 危険も恐怖も感じない。ネット付帽子に手袋で、殺蜂スプレーを噴霧しながら一気にデッキブラシで叩き落としてやった。
 半日ほどは恨めしそうに数匹の蜂が舞っていたが、もう自分の守るべき巣がないためか、人間を襲ってはこない。
 一件落着である。
 しかしなんだろうか、この寂寥感。勝利の満足感に浸るより、無垢の蜂集団を全滅させてしまった悔恨。
 こういう時には「きよめ」しかない。
 一握の塩を播き、合掌。 自然は厳しいのだ。
 
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  ▲近くに水辺がないせいか、わが山小屋の小池にはさまざまな鳥が訪れる。この夏にはセキレイのつがいが、濡れ縁に立てかけてある孟宗竹の中で雛を育てあげた。自然はすばらしいのだ。(上) 真上から見ると、この竹筒の中で4羽の雛が鳴いていた。(下)  
 
  oma  
  恥ずかしながら、この歳になって初の個展を開いた。三百名もの方々にご来場いただきありがとうございました。紙面を借りて御礼申し上げます。  
han
  title41
2008 / 6 / 25
 
 
 

 K出版のH先輩に勧められ、『茶色の朝』(F・パヴロフ著、大月書店刊)を読んだ。
 五年ほど前に翻訳され話題になった本だという。ほんの十分ほどで読める薄い本だが、強烈なメッセージが心に残った。
 「こんな法案に敢えて反対しなくても、われわれの政府は馬鹿ではないし、常識的な線で落ち着くに違いない」と高を括っているうちに身動きがとれなくなり、社会全体がとんでもない方向に流されてしまうという、怖い話である。

 「サマータイム制度」の導入論議が、またぞろ賑やかである。
 こんな(西洋かぶれの)制度が日本に必要だとは思えない。が、驚いたことに現首相をはじめ、かなりの数の国会議員たちがこれに賛成らしい。
 しかし、目新しいメリットなど出て来ない。相も変わらず、「省エネ」だ「エコ」だとやっている。ところが「経済効果」もそのひとつに挙げているのだから笑ってしまう。矛盾という言葉を知らないのかな。
 年二回の時刻変更となると、コンピュータの誤作動や人間の勘違いによる重大な事故の多発が予想される。これだけでも「サマータイム制度」を導入してはいけない十分な理由だろう。自分の身体と時計を調整するだけでも大変だというのに、まったく。
 夏の夕は明るく暑く、冬の朝は暗く寒い。四季折々の風景も当然違う。この季節の違いを感じ、楽しむことこそが大切なのだ。

 ところで私、以前から「春夏秋冬ひとりサマータイム」を実施している。朝の通勤ラッシュを避けて隣駅まで歩き、ほぼ毎日午前五時の始発電車で出勤しているのだ。
 ただの早出ではある。しかしこれが強制的に国家レベルで、つまり国民全員が早朝出勤となると話は別だ。迷惑なのだ。
 時計の針は動かさず、個人や各企業単位の「勝手にサマータイム」で良いじゃないか。
 「個人情報保護法」や「裁判員制度」など、いつのまにか成立・施行の昨今である。
 取り返しのつかない日本にしてはならない。

 
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  ▲スペイン、地中海に面したモハカールの朝。土色の禿山と青い海と空、そして白い壁。車のトラブルで前夜9時半のホテル到着だったが、なんとまだ陽が落ちてはいなかった。夏至間近の五月末とはいえ、「サマータイム」畏るべし。  
 
  oma  
  煙草を止めた私には関係ないが、「タスポカード」無しに自販機での煙草購入が出来なくなったらしい。ばかな話だ。これが功を奏すれば、次は酒類の販売や深夜のコンビニなどでも証明カードの使用が義務づけられるようになるぞ、きっと。おのおのがた、御覚悟、いや御用心召されよ。  
han
  title40
2008 / 4 / 18
 
 
 

 言葉に限ったことではないが、はじめは馴染み薄く落ち着かないものが、じきに馴れて何も感じなくなることは多い。
 これは場合によってはとても怖いことである。
 意味不明な間違った造語でも時間の経過と使用頻度により、その抵抗感が薄れてくることもあるのだ。
 たとえば数年前に私がこの欄で指摘した新病名「認知症」は明らかに誤った言葉であり、当初は拙文に対して多数の反応が寄せられたものだが、いつのまにか一般にも「認知」され、残念ながら当たり前の言葉になってしまったようだ。
 当時、高名な中国文学者のコラムを読み絶句したものだ。彼はこの用語の検討会議に言葉の専門家として参加していたにも拘らず、「認知症」案になんら反対意見を述べなかったらしい。しかも決定に至る経緯を淡々と書いていたのにはがっかりした。彼の責任は重い。
 
 ところで巷に溢れる「地球温暖化対策」である。
 二酸化炭素は悪者なのか海面上昇が本当なのかはさておき、この「温暖化」という言葉はどうにかならないものだろうか。
 もう何年も使われているが、今でも目や耳にしたりするたび違和感を覚える私が変なのだろうか。それとも世間が言葉に無関心なのだろうか。
 読んで字の如く温(ぬる)く暖(あたた)かな雰囲気からは危機を感じることができない。
 そこで提案である。
 単純ではあるが「地球高温化」とすればどうだろう。二文字の示す意味はまるで異なる。少なくとも危機感は出せるではないか。
 まあ、いまさら私ごときがそんなことを叫んでも「地球温暖化」はこれからも使われ続けるかもしれない。
 しかし大変な内容を含む言葉だけに、詮無いこととしても一度言っておかねばなるまい。  今からでも「温暖化」を「高温化」と言い換えることだ。世間の意識の変化も期待できるし、将来この問題に初めて触れる人々がより正確に理解できるように。そして何よりも問題の本質を捉えるために。

過ちて改むるに憚ること勿れ

 
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  ▲九州・博多駅6番線ホーム上の立喰店の券売機。これを見ると、ビール単体になんと80円足すだけで豪華なつまみが2品付くのだ。このときは時間が無く諦めたが、次回はぜひ試したい。ラーメンセットも捨てがたい。  
 
  oma  
  飛行機の離着陸時に目が覚めていることはまず無い。着席してシートベルトを締めた途端、暗示に掛かったように眠りこけてしまう。上空では映画など観ているくせに、着陸準備のアナウンスがこれまた催眠術となってしまうのだ。べつに不都合は無いのだが。  
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