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●月刊誌『健康と良いともだち』からの転載です。

  82〜80 slash 79〜70 slash 69〜60 slash 59〜50 slash 49〜40 slash 39〜30  

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2015 / 9 / 29
 
 
 

 アキアカネが電線に一メートル間隔でとまっている。毎年のことなのだろうが、この何年か気付かなかった。コナラの団栗が、回りの緑の葉をつけたまま、風も無いのにときどき落ちてくる。車の屋根に落ちると結構大きな音がする。
 今年はお彼岸前に庭のヒガンバナが咲いた。ミョウガの葉は枯れつつある。ススキの穂もいつもより早く出た。秋の訪れが急なのだろうか。トチノキの落葉はもう庭の地面を覆っている。ホオノキの葉はまだしっかりと枝にしがみついている。まあこれも時間の問題だろう。

 七年前、私と家内はスズメバチに襲撃され酷い目にあった。あの時は八月だったが(この連載42)、スズメバチの巣作りはこれからが本番とのこと、二度刺されるとアナフィラキシーショックで、死に至ることもあるというのだから、防虫網を被って、対処するつもりだ。
 五年程前にホームセンターで「ハチ劇取れ」という商品をみつけ、試しに買ってみた、二個セットで約八百円、中の溶液を水で薄め、蜂の通り道と思われる木陰に吊るすだけで、これが見事にスズメバチを退治してくれる。液体の入った容器に吸い込まれるように進入したが最後、逃れられず重なって死んでいくのだ。わずかコップの半分ほどの液量なのにそれが乾いて無くなってもスズメバチは折り重なっていく。ところが、蜂も学習しているのだろうか、昨年は殆ど取れなかった。今年も先日取り付けたので、十月半ばすぎに確認してこよう。

 
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  ▲たった六輪、彼岸花が咲いた。2週間ほどの命だが、独特な花の形、鮮やかな色、秋の彼岸の楽しみだ、花が消えた後は緑の韮のような茎が来年の春までそれは残る。  
 
  oma  
  遅い朝食を摂ったあと、庭掃除をした。それほど暑くもないので帽子も被らず、蜂に注意をしながら二時間ほど作業をしていると、急に気持ちが悪くなり家の中で横になったが、暑くて汗が噴き出してくる。暫くして麦茶を飲むと直ぐに汗も止まり、気分が良くなった。熱中症だったのだ。初の体験、今後気をつけねば。  
han
  title83
2015 / 7 / 29
 
 
 

 ドイツへの旅は今回が初めて。ドイツ(人)のイメージが硬く感じられ、ラテン好みの私は今まで訪れる気がしなかったのだ。
 しかし妻の強い希望もあり、ミュンヘンでアートフェスティバルに参加している友人の陣中見舞いと「ロマンチック街道」をゆったりとドライブする目的で六月後半に旅立った。
 「ロマンチック街道」、なんと乙女チック≠ネ名前だろう。ガイドブックを見ても可愛らしい三角屋根が連なる町並みだらけだ。
 ところが、この街道沿いで、思ってもみなかった魅力的な街に出逢ったのだ。たまたま立ち寄った城壁の横に車を止めて城内に入り、すこし歩くと中心には大教会が聳えている。インフォメーションで地図を手にすると、中世の円形の城壁は完璧に遺されており、驚いたことにこの都市「ネルトリンゲン」は、直径24qのクレーター(約千五百万年前に隕石が衝突して出現した)のほぼ中央に位置しているらしい。これは面白そうだ。
 偶然入ったレストランのオーナーに聞くと、階上はホテルで部屋に空きがあるという。鍵を借りて部屋を見せてもらうと、目の前は教会と広場、しかも向いの建物の屋根の上にはコウノトリの巣があり、今にも飛び立とうという子を両親鳥が指導しているようだ。なんという立地と幸運、さっそく泊まることにした。
 だが残念なことに当日は土曜日、期待したクレーター博物館や多くの商店は閉まっており、観光客もほとんどいない、こんな魅力的な町なのに……。おかげでゆっくり散歩できたが。

 
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  ▲今回借りた仏のシトロエン、新車なのにどういうわけかパワーが弱いし、水平面でも走り出しでバックしてしまう。アウトバーンも経験したが、年齢のせいもあり、何度か危険を感じた。もう海外での運転は止めよう  
 
  oma  
  あとで知ったことだが、「ロマンチック街道」、もともと「ローマへの巡礼の道」の意味だったそうだ。因みに、ドイツ人はみんな親切で明るかった。「偏見」に反省しきりだ。  
han
  title82
2015 / 5 / 27
 
 
   不覚にも三月末、妻の実家で夜中、トイレ帰りに転倒してしまった。土曜の深夜でもあり、そのまま寝たが翌朝、目覚めてびっくり。左手薬指の第二関節が倍ほどの太さに膨れ上がっていたのだ。
 痛みは当然あるが、結婚以来四十五年間、外したことがない(外そうにも外れない)頑丈な銀の指輪(巾七o、厚さ一o)のせいで、薬指だけでなく手の平まで紫に変色。腫れが退くのを待って病院に行こうと思ったが、一週間経っても好転しない。
 結局、指を腫らしたままF医師に診せると、「これではレントゲンも撮れない。まず指輪を外してから出直しなさい。なに、自分では外せない?金物屋に指輪を切る道具ぐらいあるだろう。とにかくこの状態では治療はできない」。何のアドバイスもなく初診料だけは取られた。
 しかし、事務所に戻ると、「消防署に指輪を切断する『リングカッター』というものがあるそうです。ネット検索で出ました」の朗報が待っていた。
 早速近くの消防署に連絡、いま来ればすぐにカットできますよ、と心強い返事。急いで出向くと、もう署員が待機してくれていた。会議室のようなところで、痛みに唸るわたしを囲み、励ましながら三人がかりで作業約二十分、永い長い「指枷」の苦行から解放してくれたのだ。
 翌日、別のK医師に見てもらうと、レントゲンを見るやいなや「ほお、すごい折れ方だ。しかも同じ手の人差指と小指も折れていますね」。ほかの二本は古傷である。べつに特殊な作業や運動などしていないのに同じ手の指を三本も折るとは…。
 ひとこと、医者たるもの、「リングカッター」の知識ぐらい持ってもらいたい。K医師は当然知っていた。
 
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▲(上)これが噂のリングカッター。普通のカッターナイフほどのサイズだ(下)下の嘴を指と指輪の間に差し込み、指を傷つけないようにキリキリとネジを巻くように切っていく

 
 
  oma  
  人差指は高校時代、素手で野球の打球を取ろうとして。小指は塩原温泉で梯子から転げ落ちた時。いずれも情けない。  
han
  title81
2015 / 3 / 26
 
 
   二月初め、現地コーディネーターからのメールで、アート・ワークショップへの参加を要請され、航空券だけ自ら手配して、タイのクラビに赴いた。あまり知られてはいないが、クラビはタイの南部プーケットに近く、海に面した小都市だ。
 今回は「アンダマン・アート・フェスティバル」というイベント。だが出発前、ウエブで検索しても情報はヒットしない。しかし、友人の巨匠「ムカイ」によると「クラビはいいぞ、何も心配ない」、らしい。
 現地に着いたら高額料金など請求されるのではないかとの懸念もあったが、五日間のタイ旅行だと思えば、と軽い気持ちでクラビ空港に降り立った。途端、私たち夫婦は大勢のカメラマンに取り囲まれ撮影会、そのまま市役所の車でホテルへ連行されると、立派な部屋が用意されていたのである。数年前のチェンマイでのワークショップが評価されたのだろうか、思いがけない待遇だ。
 日本からの招待アーティストは三名だったが、各国から総勢六十五名。立派なポスター、全員の顔や作品の載ったカタログなども準備されていた。
 私は、初日は墨で和紙に大書し、二日目はリキテックス(水性アクリル絵具)を使って描いた。翌日にはすべての参加アーティストの絵がミュージアム内に展示され、壮観だった。
 夜は毎晩宴会で、最終日には船での湾内観光もあり、充実した五日間を過ごした。
 今回航空運賃以外はすべてクラビ市の負担だそうで、もしかすると私たちは、クラビの観光客誘致作戦に利用されたのでは…。もしそうなら、どうぞ今後も利用してね。ああ、楽しかった。
 
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▲ミュージアム内、私の作品2点の手前で、左はクラビ市長のキーラティサク氏。作品は「泰国・夢」(キャンバス地に墨がうまく乗らなかった)と、古銭状の「吾唯知足」のバックには「般若心経」

 
 
  oma  
  今回、和紙と筆、墨などを持参したのだが、会場のアートミュージアムの広い中庭には、参加者が自由に使える絵具類や大小の平筆、キャンバスも豊富に用意され、多数のスタッフに助けられて二日間のワークショップを堪能した。  
han
  title80
2015 / 1 / 27
 
 
 

 ミラノから車で約三時間、欧州最古の総合大学を生み、中世そのままの静謐な雰囲気を保つ憧れの街。高校の先輩がボローニャ国際児童書展で大賞を受けてから約三十年、彼の絵の印象も大きい。イタリア各地を数回巡った私にとって、ボローニャは未知の聖地ともいえる都市であった。
 昨年五月、期待を胸にこの街を訪れた。だが中心のマッジョーレ広場は観光客とそれを目当ての物売りでごった返し、歩くのが精一杯だ。その喧騒の脇で寝転んでいるホームレスたち、薄汚れた街並み、車の警笛と渋滞。ボローニャのイメージは完璧に崩れ、夕方には郊外の宿に向かったのだった。 それから半年後、そのボローニャから悪魔の封書が届いたのである。差出人はボローニャ警察、駐車違反金の請求書である。
 車を止めて歩くときは、経験上かならず駐車券を近くの店で求め、そこが駐車可能なスペースかも確かめる。このときもチケットを運転席の前に置き、定刻よりも早く戻って来たというのに。しかも半年後の請求だから違反金は高額である。どうしてその場で徴収するなり、車に請求書を貼るなりしないのだろう。
 イタリア大使館に問い合わせたが丁寧な声で「モシワタシナラ、スグオカネフリコミマス。ケンカシテモ、カテマセン」。確かにそうだ。仕方がない、銀行で振り込もうとしたが、面倒な書式を書かされたあげく、国際送金専門の係員が居ないので「テレビ窓口」で手続きしてくれといわれ、専用ブースで待たされること四十分、払ったお金は手数料もあわせて二万数千円だ。もう、ボロボローニャ。

 
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  ▲喧騒を逃れて横道にそれる。昔はきっと華やかだったのだろう、片側には立派な柱廊も見えるが薄汚れた建物ばかりで埃さえ舞っている。月曜の昼だというのに商店や事務所のひとつも開いていないし通行人も見当たらない。シエスタにはまだ早い。すこし歩いてみたが、あまりの寂しさに妻も早く帰りたがっている。同じボローニャなのだろうか。たった一日では分かるわけ無いが…  
 
  oma  
  二月初めから一週間、書のワークショップのため、タイのクラビという町に行く予定だ。航空券は自分で購入したが、ホテルは先方で用意しているという。しかしホテル名もワークショップの会場も時間さえまだ知らせてこない。ま、なんとかなるだろうが。  
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