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●月刊誌『健康と良いともだち』からの転載です。

  82〜80 slash 79〜70 slash 69〜60 slash 59〜50 slash 49〜40 slash 39〜30  

  title39
2008 / 2 / 25
 
           
 

 まだ記憶に新しい「スマトラ沖地震」による津波の大惨事、この日は満月であった。
 そのちょうどひと月前、私たち夫婦はタイ・プーケットのパトンビーチにあるホテルから、早朝の満月が海に沈む神秘的な風景を見ている。もちろん大津波がこの海岸に押し寄せるなどとは想像もせずに。
 そして今、プーケット島から約二百km南のリゾート、ランカウイ島で、やはり早朝の満月と対面している。
 この島は、周囲の島々に護られるかたちで、当時ほとんど津波の被害を受けなかったという。
 同じアンダマン海に浮かぶ観光の島プーケットとランカウイ、厳しい運命の差を感じずにはいられない。

 さて、今回は代理店まかせにしたため、島でも有数の高級ホテルに泊まる破目になってしまった。分不相応である。
 いつもは、ホテル近くの安食堂を選んでその土地の味や雰囲気を楽しみ、近所の雑貨屋で珍品を見つけては喜んでいるのだが、今回ばかりはそうはいかない。
 このホテル、一本道を十km戻っても、雑貨屋はおろか人家さえ皆無なのだ。下調べ不足が悔やまれる。
 当然、宿泊客はホテル敷地内にある複数のレストランに頼ることとなるが、これが泣きたくなるほど高価なのだ。
 たとえば缶ビール。町の酒屋で買えば約六十円、食堂でも百五十円。ところがこのホテルのミニバー(冷蔵庫)では四百円、さらにビーチサイドのレストランだとその倍の八百円もするのである。
 そうなると私たちのやることは決まっている。レンタカーを借りて島を巡り、最後の目的地はお決まりのスーパーマーケットだ。安いつまみや酒をしこたま買込み、部屋の冷蔵庫の中身は総入れ替えである。う〜ん、実に嫌な客だ。

 何のことはない、今回もただの貧乏旅行になってしまった。
 いつまで経とうが私たちは、リゾートには歓迎されない旅行者なのだろう。

 
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  ▲朝の砂浜で今回もたくさんの収穫? があったが、拾った1個の貝殻が部屋の机で突然動き出したのには驚いた。ヤドカリだったのだ。水が無くても平気で歩き回る姿が面白かったが、帰国の前夜、海に放してやった。  
 
  oma  
  赤道に近く、マレーシアの北端に位置するランカウイ島。熱帯の猛暑を覚悟していたのだが、炎天下でも木陰は涼しい。乾季とはいえ蒸し暑さも無い。ホテルの部屋もレンタカーもエアコンは不要であった。意外。  
han
  title38
2007 / 12 / 17
 
 
 

 四泊五日と短期間ではあったが、上海に旅した。
 看板名を揮毫したレジャービルの竣工式典参加のため、招待を受けたのだ。
 昨今なにかと評判の中国、その経済の中心でもある上海は、今まで個人的に縁が無かっただけに期待と興味津々である。
 この秋から運行を開始した羽田空港から上海・虹橋空港への直行便で約三時間、早朝自宅を出て昼過ぎには上海市内に着いていた。

 世界中どこにでもあるチャイニーズレストランは、実にありがたい。イタリア料理や日本料理と違い、中華に関してはまずハズレが無いほど、各地に融け込んだ中国人コックが高水準の味を提供してくれる。しかも高価ではない。
 なのに、どうしたことだろう、本家本元であるはずの今回の上海の中華料理は。期待した分を差し引いたとしても、かなりがっかりものであった。
 ある程度高級な店から大衆食堂まで体験したのだが、いずれも揚げ物や餡かけの炒め物、麺や小籠包なども何故か凡庸な味に思えた。ただ脂っこさだけがあとに残るのだ。
 そして、気になるのは現地の人たちの食べ方である。若者も含め、注文したものにあまり箸をつけぬまま残し放題の人が多い。まさか昔からこうなのではあるまい。急激な経済発展や大気汚染、過激な都市開発など、複合的な要因が「食」とその習慣にも影響を及ぼしているのではなかろうか。
 本格的な市場に今回は行けなかったのだが、大きなスーパーでも生鮮食品の充実は感じられない。特に魚売場は淋しい。淡水魚数種と太刀魚、何故か生きた亀がやたら目に付き、活気に乏しかった。

 で、今回の目的「竣工式典」はと言えば、「風水」のお告げ?で二週間の延期だそうな。
 現地を訪れると内装工事の真最中、これでは風水に拠らずともオープンは無理だ。
 こんな時、〈それならそうと出発前に言ってくれれば……〉は日本式の考えなのだろうか。

 中国と日本、たった三時間の距離なのに、考え方の距離は測り知れない。

 
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  ▲ホテルの向かいの簡易食堂で、若い料理人が作ってくれた手延べ麺のスープと刀削麺のヤキソバ。失礼ながら今回の旅で、ここの食事が一番良かった。サントリービールと合わせて12元(約180円)也  
 
  oma  
  ついに(もちろん初体験)電車内で席を譲られてしまった。上海の地下鉄での出来事、相手は三人の女子高生(だろうと思う)。断るにも咄嗟に言葉が出ず、へなへなと座ってしまった。年上の妻は立ったまま。嬉しいやら、恥ずかしいやら、情けないやら。  
han
  title37
2007 / 10 / 22
 
 
 

 道端の花木に季節を教わることがある。
 春の到来を告げるジンチョウゲ。初夏はクチナシ。秋になるとキンモクセイだ。
 いずれも甘い香りのおかげで夜の暗闇でもそれとわかり、こんなところに咲いていたのか、その木の存在さえ気づかなかった、と感動すら覚える。
 花をつけない季節には自己主張をしないからだろう。もっとも花が咲いていてもそれほど目立つ花木ではない。よほど自らの香りに自信があるのか、あるいは強い香りが花を目立たぬものに進化(退化)させたのだろうか。

 冬の魁花サザンカが、例年より早く、事務所の前で紅と白の花をつけた。この花は色で目立つ代わりに香りがない、と思っていた。
 しかし昨冬、生垣いっぱいの花の中を歩いた折、仄かな匂いを感じて顔を近づけると、たしかにこの花が爽やかな香りを放っていた。こんな時は何故か嬉しい。
 現在十月下旬、どうも季節を間違えているようだが、今年はサルスベリやキョウチクトウ、ムクゲまでが本郷界隈ではまだ花が咲いている。
 安易に、地球温暖化の影響云々を言いたくはないが、人間の存在自体が自然界を狂わせていることは間違いなかろう。

 ちかごろ歳のせいか、子供の頃の事柄が懐かしく思い出される。
 それも、当時の景色や動植物、遊びなどのことが殆どである。
 印象的なのは草花だ。自分と同じくらいの背丈のカンナの花を失敬して蜜を吸ったり、オシロイバナの黒く丸い種を集めたり、ホウセンカの実を指で摘まんで弾けるのを楽しんだりしたものである。
 今の子供たちも同じように遊んでいるのだろうか。残念ながら見かけたことは無い。

 キンモクセイはすでに香りが失せ、事務所前のサザンカも、まだ匂いはしない。

 
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  ▲英国の古い港町「ポーツマス」の住宅街にある気軽なB&B(ベッド&ブレックファスト)。子育てを終えた陽気な女性が自宅を民宿にしていた。小さな庭にも薔薇をはじめ、多くの花々が溢れている。  
 
  oma  
  看板の題字を書いた縁で、複合施設のオープニングセレモニーに招かれ、今週末から上海に行くことになった。先方が用意してくれた航空会社は中国T航空。三年前の仏旅行で利用し、もう付き合いたくないと思っていた会社である。うーむ、トラブルなど無ければ良いが……。  
han
  title36
2007 / 7 / 26
 
 
 

 二十年前の人間がタイムスリップで現在の東京に現れたらどう感じるのだろうか。
 風景やファッションなど多少の変化はあるが、たいした戸惑いはなかろう。
 しかし、人々(とくに若い女性)が必ずといってよいほど手にしている携帯電話(二十年前にはまだ無かった)を見て、その異様なさまに驚くに違いない。
 なにせ、歩道だろうが夜中だろうが夏だろうが食事中だろうが電車だろうが友人がいようが、始終それに頬ずりしながら喋ったり、じっと見つめたり、はたまた指でボタンをいじくりまわしたりするのだ。ふた昔前からすると、変な世の中だろう。

 というわけで? 私も四年ぶりに携帯電話を新機種に換えた。
 四年も経てば機能も飛躍的に増えている。「ワンセグ、GPS、海外利用、おサイフケータイ
 十五年間もつき合っている優良ユーザーとしては、是非この際、新機能の勉強も兼ねて、と気張って「904i」なる最新型を購入してしまったのだ。
 結果、大誤算である。
 肝心のトリセツ(取扱説明書)が複雑で読み難く、しかも膨大な量なのだ。サイズはごく普通でA5判、厚さ十五 、なのになんと五六〇頁の大冊だ。そして活字は極小。いやはや、これは「辞書」そのものである。
 内容に至っては哲学書なみの難解さだ。「コンテンツ移行対応のiモーション表示……」などと言われても、普通のおじさんに判るわけがないだろ。
 購入してから約一ヵ月。初めのうちこそ、やれワンセグTVだ、GPSで現在位置確認だなどと遊んでいたが、結局、以前の「遅れた機種」のほうが使い易い。
 パソコンのデータも取り込める、などと、やる気満々だったのだが、いまやトリセツの顔も見たくない。早くも戦意喪失敵前逃亡の体である。
 そこでおじさん、負け惜しみのひと言。
 「みんな、ケータイ・メールなんかやめようぜ。人間どうし、直接会って話をするのがいちばん。『電磁波』も怖いぞ」

 
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  ▲妻が10日間、緊急入院した。喘息の発作がひどく呼吸困難のため、口から肺に管を入れた。この写真はまだ集中治療室だが、管がやっと外れて意識が戻ったところ。私はといえば、結婚36年にして初めて電気洗濯機を操作した。ありがたいことである。  
 
  oma  
  遅ればせながら「ブログ」なる日記をインターネットで始めた。いつまで続くかわからんが、いまのところは楽しんでいる。タイトルは「墨禅週休二日酔待草」。あいかわらずわけがわからん。  
han
  title35
2007 / 5 / 21
 
 
 

 若いころ、『悪銭身につかず』と教わったものである。
 博打などで金儲けをしてはいけない、という戒めの言葉と理解している。
 ところで、いまの日本、おかしくはないですか? 「教育再生云々」と唱えながら、国家が国民に「博打」を大々的に奨励し、国民もそれに応えて金を注ぎ込んでいる。
 その代表的なのが「宝くじ」。ジャンボだ三億円だとやたら広告をたれ流しているが、みんな変だと思わないのだろうか。TVなどマスコミでも、芸能人やアナウンサーが「買った、外れた。もし当たったら、仕事などせず一生遊んで楽しく暮らすのだ」と燥ぐ始末である。
 労せずして億を超す金など手にすれば、まともに働く気は失せて当然だろう。
 もちろん、子供に博打は御法度であるが、大人のこんな馬鹿騒ぎを見て育てば、将来かなりの「教育効果」が期待できるはずだ。
 博打(ギャンブル)反対などと声高に言う気はさらさら無い。むしろ息抜きとして楽しむのは好ましい。ギャンブルには賭金がつきものだ。小遣銭程度ならそれもよかろう。問題は、そのシステムにある。
 宝くじ競輪競馬競艇……、これらの「胴元」(主催者)はすべて役所なのだ。賭金の相当分は寺銭として自らの懐に入れ、その残りが賞金である。それでも大金に目が眩んだ国民は嬉々として賭場に通う。
 十年ほど前、文部(科学)省の主催で「サッカーくじ」という名のトトカルチョが始まるとき、世間には賛否両論が渦巻いた。いつのまにか、そのことさえも忘れられている。
 このままでは日本、さらに腐った国に成り果てる。
 人間は、金があれば良いというものではない。「働く意欲」や「志」がなくて何の人生か。為政者は、そのことを教育の根幹として考えるべきだろう。
 硬くてすまない。私は馬券や宝くじを買ったことがない。

 
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  ▲駅構内に貼られた、豪華かつ醜悪な宝くじの巨大宣伝ポスター。「億万長者111人」「当たれば人生デラックス」など、射倖心を煽る言葉の下に、極小の文字で「外国発行の宝くじを日本国内で購入することは法律で禁止されています」とある。もっと記すべき事はたくさんあるだろうに。例えば「健康のため買い過ぎに注意しましょう」  
 
  oma  
  スポーツジムの廊下で囁かれた。「パンツ逆ですよ」。水着を裏返しに穿いていたのだ。うわああああ、うそだろ? 信じたくないが、現実だった。しかしまあ、穿いていただけでもよかったか。 こうして私は壊れていく。  
han
  title34
2007 / 3 / 18
 
 
 

 いきなり尾籠な話で恐縮ですが、私、「トイレの個室」が大好きです。
 毎日三回は便器に腰掛けている。もちろん用も足すが、必ず本や雑誌、メモ用紙などを持ち込んでひとときを過ごすのだ。 
 自宅や仕事場はもちろん、外出時・旅行先でも同様である。
 私にとってこの小空間は集中できる場なのだ。むしろそれが目的でトイレに通っている、というべきかも知れない。
 しかし、これは「洋式」が当たり前の時代になったからだろう。若い頃はいざ知らず、「和式」での読書は辛い。
 学生時代、外出中のトイレ探しには苦労した。さすがに都会では「水洗」が普及していたが、駅や公衆トイレなどは当然「和式」。しかも、穢い・狭い・臭いが常識であった。
 当時、今は亡き『平凡パンチ』誌に『東京快適トイレ地図』の企画を応募したことがある。
 採用はされなかったのだが、自分の「御用達トイレ」は地域ごとに決めていた。新宿はK書店の四階、銀座ならM百貨店の六階…という具合だ。
 近頃の店舗など、トイレの豪華さ快適さを競うかのように、誇らしげにメディアで紹介されている。隔世の感がある。
 ところで飛行機のトイレは何故あのように不便なのだろう。少なくともこの四十年、改良されているとは思えない。
 なにしろ狭い。便座や洗面台も小さい。水は出にくいし流れにくい。あの圧迫感の中、洗顔や歯磨きなどを敬遠している人は少なくないはずだ。
 あまり長居をしてもらっても困るのだろうが、長時間の移動では、人間誰もがお世話になる空間である。
 エコノミーしか利用できないくせにメタボリックな私の僻み(ビジネスクラスのトイレがどうなっているのかも知らない)もあるが、少々座席数を減らしてもトイレを広くし、設備を充実させれば、航空会社も利益に繋がると思うのだが。
 以上、私のプチ・カミングアウト。あー、出してすっきりした。

 
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  ▲十七年ぶりにバリ島を訪れた。隣のレンボンガン島で私たち夫婦を案内してくれたのは、当時まだ少年だったスアスタ君。久々の再会、南の島で時間はゆったりと過ぎていく。  
 
  oma  
  東京の営団地下鉄は「東京メトロ」と名を替え、トイレに限らず便利できれいになったようだ。しかし長年気になっているのは銀座駅、丸の内線ホームに漂う異臭である。明らかに汚水の臭い、どうにかならないものか。  
han
  title33
2007 / 1 / 26
 
 
   今この街は、まるでゴーストタウンのようだ。
つい先ほどまで、レストランは昼食の客でごったがえし、土産物屋の店先は屋台や観光客で溢れかえっていたというのに。
 地中海からのそよ風をうけ、午後の太陽が降り注ぐ道にも広場にも、人っ子ひとりいないのは、どういうわけだ、旅人の私たち夫婦を除いて。
 ここはナフプリオ、歴史ある城砦や街並、港が風情を醸し出す、ギリシャ屈指の観光都市である。
 それなのにこの静寂。
 そう、街全体がシエスタ(昼寝=昼休み)に入ったのだ。
 この地では、スペインやイタリアよりも徹底したシエスタを、毎日午後二時から五時ごろまで摂るようだ。
 地元の人だけでなく観光客だって慣れたもの、シエスタの時間はホテルにさっさと戻り、午睡に耽るらしい。
 そしてこの慣習、半端ではない。スーパーで買い物をしている上客(私たちのことだ)まで追い出してしまうほどである。
 あんまりじゃないか、客を何だと思っておる。と怒っても、しかたがない。彼らにとってシエスタは仕事よりも何よりも大事なものなのだから。
 さらに午後の仕事を終え、夜おそくの食事と遊びとおしゃべりの、これまた長いこと。
 こんな(一般的な)ギリシャ人の労働時間は確かに少ないし、所得もそれに見合ったものかも知れない。しかし彼らは生活そのものを楽しんでいる。満足し、何の不安も抱えていないかのようだ。
 これって現在の日本人と逆ではないか。一所懸命仕事に励み、貯蓄を積み上げていても、何故か将来が心配なひとたち。
 「アリとキリギリス」の喩えは陳腐だし、どちらが正しい、というものではないだろう。
 しかし、いったい何のために生きるのか、生きるということは何なのか。
 数多の神話に始まり、紀元前からの哲学に培われたギリシャの国民は、やはり「生きることの達人」なのだ。
 早くも結論が出たようだ。私も彼らに倣い、シエスタと夜の楽しみに勤しむとするか。
 高血圧と脂肪肝、痛風に健忘症を友として。
 
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  ▲ナフプリオのプチホテル「バイロン」のバルコニーで遅い昼食中の妻。向いに見える教会との間の路地で、近代ギリシャ初の大統領が暗殺されたそうだ。二百年近く前のことである。  
 
  oma  
  新型インフルエンザについては、国内発生以前の段階でこの大騒ぎである。確かに怖い。ウイルスを日本に入れないためには渡航規制が有効なのだろうが、渡り鳥には適用できないし。  
han
  title32
2007 / 11 / 27
 
 
   いつも海外(レンタカーのある国)では、おもな目的地と帰国便だけ決めてあとは気分次第、気儘なドライブ旅行である。
 旅の目的が「レンタカーの運転」ではないが、待ち時間を考えずに自分の意思で動きまわれるのは大きな魅力だろう。
 気に入った土地やホテルには数日間滞在することもあるし、ただ通過するだけの観光地だってある。
 まだ仕事をしているので十日間ほどの旅ではあるが、国外に出れば仕事のことなど一切脳裡から消え去る。ありがたいことだ。
 もっとも、仕事を辞めていつでもどこへでもご自由に、ということになると果たして現在ほど楽しく充実した旅ができるかどうか。「時間の縛り」と「緊張感」が私の海外旅行には必要なのかもしれない。
 定年後の「海外ロングステイ」紹介番組をTVで見かけるが、私たち夫婦には腰をすえた海外生活は無理なのだろうか。
 この秋は久々の「ガイド付き団体旅行」を経験した。日本文化紹介が目的のブルガリア旅行、若者たちの和楽器と私の「墨書」とのコラボレーション公演ということで、自由行動がほとんど許されない旅だった。
 団体用の大ホテルに泊まり、毎回みんなで同じ食事を摂る。集合時間を常に気にしながらの旅はけっこう辛い。
 もちろんガイドの人がいろいろと気を遣ってはくれるのだが、いったん移動用のバスに乗ってしまうと、面白そうな街や見惚れていたい景色も一瞬で通過だ。現地の人との出会い語らいも儘ならない。
 それでもそれなりに楽しんできたのだが、いま思えば「ブルガリア」の印象がどうも希薄なのである。個人旅行にありがちな失敗やエピソードがあまり浮かんでこないのだ。リスクを負わない旅は「消化不良の旅」、と思うのは不遜だろうか。
 とはいえ私自身が運転できる海外自由旅行も、せいぜいあと十年。問題はその先だ。「同行者(妻)」と「気力」が残っていれば、自分たちで手配した列車やバスで移動し、自分たちで見つけた宿に泊まれる。それは十分「自由旅行」である。
 できるだけ己の意思と足で旅を続けたいものだ。
 
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  ▲ブルガリアの首都ソフィア・国立オペラ座での公演。広い舞台の前面で津軽三味線と五人の和太鼓の演奏、後方では私が書のパフォーマンス。小さくて見えにくいが「武士道」の各一文字が一メートル四方の大きさである。満員の客席も沸いた。  
 
  oma  
  ブルガリアといえば「ヨーグルト」と「琴欧洲」。八日間の滞在中は当然ヨーグルト漬けの毎日であった。が何故か、琴欧洲関のことが一度も話題に上らなかったのは何故だろう。不思議だ。  
han
  title31
2007 / 9 / 26
 
 
 

 タイ・バンコクの大衆食堂に、象がいきなり頭をこじ入れてきたときは肝を潰した。
 半間ほどの間口だから全身は入りっこないのだが、私たちのテーブルの前に大きな鼻がぶらぶらしているのは、なんともシュールな光景だ。
 店内で食事をしている現地の人たちは無反応。そう、象を頼んだ小銭目当ての商売なのだ。象遣いは店に入ってはいけないらしく、象のうしろでなにやら喚いている。
 さすがはタイ、首都バンコクの繁華街にこの商売である。もちろん観光客目当てだろうが、店のおばさんは「しっしっ、間に合ってるよ」。花売りの少女と同じようなものだ。これで象の餌代を稼げるのかな、などと余計な心配をしてしまう。
 どこの国でも人間は、商売(仕事)のために動物を利用する。
 サーカスや競馬しかり、車を牽かせたり力仕事もさせる。情操教育が名目の動物園、新薬開発のための動物実験なども同様であろう。
 このように動物を利用することを、一部の人々は「動物虐待」と叫ぶ。
 しかし大抵の人はそれらを享受し、場合によっては「かわいそう」と呟くのだ。
 世の中、ペット論争も盛んである。
 座敷犬に服を着せ悦に入る人も良し、それを見て「ばかだねえ」と思うのも自由だろう。
 要は、他人に自説や価値観を押し付けず、現実を直視して程度をわきまえれば、と思うのだが、なかなか難しい。
 新聞のコラム「子猫殺し」で有名になってしまった某作家、露悪趣味が過ぎたかもね。
 「食」も含め人間の生活は他の生き物を殺して成り立っている。しかし「その事実を忘れることなく、人間の都合でやるしかない」というのが私の考えである。
 人間みんな自分勝手。楽しみながらも遠慮したり謝ったり悩んだり。調整しながらやっていくしかないではないか。
 嗚呼、私は「人間至上・御都合主義」の塊だ。
 反省。この小さなコラムで取り上げるには、ちとテーマが大きすぎた。 妄言多謝。

 
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  ▲タイ北部、国境に近い小さな村での象トレッキング。小屋の二階から象の背中の籠に乗る。た、高い!このまま谷を下り、川を渡るのだ。自分では象を操れないのが残念。  
 
  oma  
  恐れていたことが突然やってきた。朝起きたら、悪魔が私の左足甲に釘を打ち込んでいたのだ。「痛風」である。痛いのなんの。尿酸値が高くても私だけは例外だ、と思っていたのに…。妻は心配顔で嗤っている。  
han
  title30
2007 / 7 / 19
 
 
 

 何を隠そう、ついこの前まで私たち一家は、TDL・東京ディズニーランドのすぐ近くに住んでいた(威張ることではない)。
 二十二年間住んだのだからその開業時の騒ぎも知っている。近所の人たちも初めは斜に構えていたようだが、その評判が上がるにつれ、当たり前のようにTDLファンになっていった。
 そんな中、石塚《へそまがり》一家は、ついぞTDLに足を踏み入れることはなかったのだ。
 「なんだってあんな混んでるとこに行かなきゃなんないんだよ。だいいち、弁当持ってっちゃいけない、酒も飲めない、で何が楽しいんだ」 もっともでしょ? おじさんとしては。
 でも息子たち(当時は小学生だった)は行きたくてしょうがない。せめて行ったことがあることにしないと友だちの輪に入れない。もしかすると親に内緒で行っていたのかもしれない。
 しかし断固として父・母は行かなかった。本当に、行く気など起きなかった。毎夜打ち上がる花火だけは、ちゃっかりベランダから観賞したけれど。
 そして時は移り、夫婦とも「四捨五入で還暦」の昨年秋、わたしたちはこの禁を犯すことになる(べつに家訓があったわけではないが)。
 北アメリカ西海岸をひたすら走ってきて、今回は何もアクティビティがないよ、と妻がのたまう。じゃ、ヘリコプターにでも乗りますか? と夫。やーだ、ディズニーランドに行きたい!
 へっ、唐突かつ意外な妻の要求だが、まあ話のたねだ、一度くらいは付き合ってみようか。てなわけで、丸一日かけてのカリフォルニア・ディズニーランド体験をしてしまったのだ。
 園内では、汽車に乗った、船にも乗った、ジェットコースターにも。たくさんのアトラクションも、行き当たりばったりで待たされず参加できたのは、平日ながら、すこし意外ではあった。
 未経験のTDLと比較はできないが、さすがによく出来たテーマパークである。なにせ開園50年、「元祖」ディズニーランドなのだ。
 で、おじさんやっぱり、人込みの遊園地は疲れる、もう帰りたい。しかし妻は園内が薄暗くなってきたのに、なにやら未練たらしい。もしかして彼女、実は「隠れディズニー・フリーク」だったりして。 …怖い。

 
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  ▲ディズニーランド内の「おもちゃの町」でポーズを決める、わが妻。いくつになっても女の子?  
 
  oma  
  カリフォルニア・ディズニーランドの駐車場は当然、滅茶苦茶に広い。朝は空っぽだったので何も考えず適当に駐めてしまったが、帰りは似たような車がびっしりで呆然。頼りは車のナンバーと車体カラーのみの、悲しきレンタカー。結局一時間、探し回ったのだ。「ボケ」の進行を痛感。  
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