道端の花木に季節を教わることがある。
春の到来を告げるジンチョウゲ。初夏はクチナシ。秋になるとキンモクセイだ。
いずれも甘い香りのおかげで夜の暗闇でもそれとわかり、こんなところに咲いていたのか、その木の存在さえ気づかなかった、と感動すら覚える。
花をつけない季節には自己主張をしないからだろう。もっとも花が咲いていてもそれほど目立つ花木ではない。よほど自らの香りに自信があるのか、あるいは強い香りが花を目立たぬものに進化(退化)させたのだろうか。
冬の魁花サザンカが、例年より早く、事務所の前で紅と白の花をつけた。この花は色で目立つ代わりに香りがない、と思っていた。
しかし昨冬、生垣いっぱいの花の中を歩いた折、仄かな匂いを感じて顔を近づけると、たしかにこの花が爽やかな香りを放っていた。こんな時は何故か嬉しい。
現在十月下旬、どうも季節を間違えているようだが、今年はサルスベリやキョウチクトウ、ムクゲまでが本郷界隈ではまだ花が咲いている。
安易に、地球温暖化の影響云々を言いたくはないが、人間の存在自体が自然界を狂わせていることは間違いなかろう。
ちかごろ歳のせいか、子供の頃の事柄が懐かしく思い出される。
それも、当時の景色や動植物、遊びなどのことが殆どである。
印象的なのは草花だ。自分と同じくらいの背丈のカンナの花を失敬して蜜を吸ったり、オシロイバナの黒く丸い種を集めたり、ホウセンカの実を指で摘まんで弾けるのを楽しんだりしたものである。
今の子供たちも同じように遊んでいるのだろうか。残念ながら見かけたことは無い。
キンモクセイはすでに香りが失せ、事務所前のサザンカも、まだ匂いはしない。 |